2008年
11月11日(火曜日)
2−41 日本は野蛮な国 ?!
ウェールズの春はブラックマウンテンの白帽子を残して、森も谷間も
村も、すべて緑で埋め尽くされる。
そしてその中に、降って湧いたようにかわいい花が咲き乱れる。
イースターの村のお祭りには、イースターハットのコンテストが行われ、
出場者は奥さんの手作りの見事な帽子を被って町を練り歩くんだ。
村では私は大スター。
何しろ今まで中国人も日本人も見たことがないという人ばかりなんだ
から。
特にエレンという目の釣りあがった女の子は、”ジャパニーズ” という
あだ名のため、私の出現に大喜び。
どこでもついてくるし、毎晩のようにワトソン家にやって来て、お皿洗い
をする私の横にフキンを持って待機。
役に立とうと一生懸命だ。
(ところで、前にも書いたけど、イギリスでは洗剤液に浸けた食器を
すすがずにそのままフキンで拭いてしまう。
エレンもすすぎ前の泡だらけの食器を拭こうとするので、すすぎ終わる
まで待ってもらった)
ワトソン家にはいろんな人が訪ねて来た。
みんな私の存在を意識して、どうしても英語では表現できない箇所だ
け、ひとこと謝ってからウェールズ語に切り換える以外は、
どんなプライベートなことでも英語で話していた。
(ウェールズ語がわからない私への心遣いだね!)
日本にコーヒーはあるか、りんごはあるかに始まり、イギリスではまだ
ぜいたく品であるカラーテレビを指差して、「日本にもテレビはあるか」
と聞かれた時には参った。
(そのテレビには、National (松下電器) のロゴが…
)
いっしょに町まで買い物に行った近所のおばさんは、田舎びたデパート
のボロいエレベーターに乗ったとたん、
「ミヤ、動かないで! じっとしているのよ!
ところで、日本にもエレベーターある?」
私がハンバーグを作っていると言った時には、アネッカ、不安におのの
いて、
「ど、どんなハンバーグ?」 (猫も犬も入っていないってばぁ…!!)
でも、そのお手並みと味に、みんなビックリ。
(最低限の調味料はいつも持っているから)
特にキャベツの線切りには、「マジック!!」 と悲鳴。
プラスチックの小さなまな板と切れないナイフで苦労したけど。
イギリスでは味付けも最後に自分で、塩・こしょうをかけるお料理が
ほとんどなんだ。
「足の小さい人が美人なんだろう」
とか、
「肉はイスラム教のため食べないのか」
とか、村人たちの素朴な質問は尽きなかったけど、
「日本にもピアノがある」 というと、
「ヨーロッパの曲を弾くのか」
とまじめに聞かれるし、
ある日などワトソン氏が雑誌を見ながら、
「ほほう、日本にもイギリスのパブができたそうだ。
おもしろいことだね」
「バーやスナックならもうたくさんあります」
と言うと、
「サキ(酒)だけだろう?」
近日に迫ったクイーンの日本訪問について、クイーンが、
「日本へ行っても決して靴を脱がない」
と宣言したというのも話題の種。
それを言った時のアネッカの顔…。
パートのメイドさんも
「もちろん、許されることじゃないわ」
と、眉ひそめ、神妙〜な面持ちで頷いた。
(床に藁を敷いて裸足で暮らしてるんじゃないってばぁ…!)
そしてアネッカは、こわごわ、私の様子を覗きこむようにして、
「…あなたのお母さんも…床に座るの?」
(どんなお母さんの姿を想像してるんだヨ!)
こちらの家の汚い床を考えれば無理ないんだよね、
土足だし、犬も猫もいっしょで、ソファーさえ、泥と毛だらけだもの。
△帽子をかぶった人力夫行きかう場面(ホンコン)がテレビに映れば、
「ミヤ ミヤ! 早く、早く来て! 日本が出てるわよー!!」
と大騒ぎして私を呼びに来るし。
疲れたなあ…。
ミニ ウェールズ案内
Builth Wells 村

右上の赤いドラゴンは、ウェールズの紋章。
国のために戦う闘志を意味しているらしい。
(ドラゴンというのが不思議だよね、中国のものだと思っていた)

今回は、ウェールズ中部、Wye 谷にある Builth Wells という小さな村を
訪れてみましょう。
Wye というのは川の名前で、見事な鮎と鮭がとれる。

この地方の中心を担う羊の市場

家畜のオークション

セント メアリーという名のお城もある
ちょっと歴史に触れてみよ。
<最後の プリンス オブ ウェールズ>
石の城壁と城の建設は、ウェールズの支配者であったイングランドの
エドワード一世が、一流ミリタリー建築家であったマスター ジェームズ
de サンジョージに1277年に、もうひとつの城建設と同時に命じたが、
それを含む彼の手による北部の複数の城は、1282年に最後の
ネイティブ(現地の) ウェールズ人プリンス Llywelyn が戦死するまで
着工されなかった。
プリンス Llywelyn は、1258年に皇位を継承。
彼はイングランドのキング エドワード一世と二つの大きな独立戦争で
闘い、後の戦い(1282-4)の只中の1282年12月11日に戦死。
その後、エドワード一世の息子である エドワード二世が プリンスオブ
ウェールズ を継承したが、ウェールズ人がイングランドと同化すること
はなかった。
Builth Wells から 2マイル半の Climery 村に、
”Ger y fan hon y lladdwyd Llywelyn ein llyw olaf 1282"
”Near this spot was killed our Prince Llywelyn 1282”
(プリンス Llywelyn は この近くで 1282年に殺された)
と刻まれた彼の碑がある。
ウェールズ語がどれほど英語と違うか、知ってほしいこともあって
載せたよ。
ところで、現在はチャールズ皇太子が(イングランド人の)プリンス
オブ ウェールズ だけど、
最近、何かの式典のためにウェールズを訪ねた時、初めて、英語で
なくウェールズ語でスピーチしたそうだ。

ぜひ投票をお願いしまーす(毎日クリックOK)

村も、すべて緑で埋め尽くされる。
そしてその中に、降って湧いたようにかわいい花が咲き乱れる。
イースターの村のお祭りには、イースターハットのコンテストが行われ、
出場者は奥さんの手作りの見事な帽子を被って町を練り歩くんだ。
村では私は大スター。
何しろ今まで中国人も日本人も見たことがないという人ばかりなんだ
から。
特にエレンという目の釣りあがった女の子は、”ジャパニーズ” という
あだ名のため、私の出現に大喜び。
どこでもついてくるし、毎晩のようにワトソン家にやって来て、お皿洗い
をする私の横にフキンを持って待機。
役に立とうと一生懸命だ。
(ところで、前にも書いたけど、イギリスでは洗剤液に浸けた食器を
すすがずにそのままフキンで拭いてしまう。
エレンもすすぎ前の泡だらけの食器を拭こうとするので、すすぎ終わる
まで待ってもらった)
ワトソン家にはいろんな人が訪ねて来た。
みんな私の存在を意識して、どうしても英語では表現できない箇所だ
け、ひとこと謝ってからウェールズ語に切り換える以外は、
どんなプライベートなことでも英語で話していた。
(ウェールズ語がわからない私への心遣いだね!)
日本にコーヒーはあるか、りんごはあるかに始まり、イギリスではまだ
ぜいたく品であるカラーテレビを指差して、「日本にもテレビはあるか」
と聞かれた時には参った。
(そのテレビには、National (松下電器) のロゴが…
)いっしょに町まで買い物に行った近所のおばさんは、田舎びたデパート
のボロいエレベーターに乗ったとたん、
「ミヤ、動かないで! じっとしているのよ!
ところで、日本にもエレベーターある?」
私がハンバーグを作っていると言った時には、アネッカ、不安におのの
いて、
「ど、どんなハンバーグ?」 (猫も犬も入っていないってばぁ…!!)
でも、そのお手並みと味に、みんなビックリ。
(最低限の調味料はいつも持っているから)
特にキャベツの線切りには、「マジック!!」 と悲鳴。
プラスチックの小さなまな板と切れないナイフで苦労したけど。
イギリスでは味付けも最後に自分で、塩・こしょうをかけるお料理が
ほとんどなんだ。
「足の小さい人が美人なんだろう」
とか、
「肉はイスラム教のため食べないのか」
とか、村人たちの素朴な質問は尽きなかったけど、
「日本にもピアノがある」 というと、
「ヨーロッパの曲を弾くのか」
とまじめに聞かれるし、
ある日などワトソン氏が雑誌を見ながら、
「ほほう、日本にもイギリスのパブができたそうだ。
おもしろいことだね」
「バーやスナックならもうたくさんあります」
と言うと、
「サキ(酒)だけだろう?」
近日に迫ったクイーンの日本訪問について、クイーンが、
「日本へ行っても決して靴を脱がない」
と宣言したというのも話題の種。
それを言った時のアネッカの顔…。
パートのメイドさんも
「もちろん、許されることじゃないわ」
と、眉ひそめ、神妙〜な面持ちで頷いた。
(床に藁を敷いて裸足で暮らしてるんじゃないってばぁ…!)
そしてアネッカは、こわごわ、私の様子を覗きこむようにして、
「…あなたのお母さんも…床に座るの?」
(どんなお母さんの姿を想像してるんだヨ!)
こちらの家の汚い床を考えれば無理ないんだよね、
土足だし、犬も猫もいっしょで、ソファーさえ、泥と毛だらけだもの。
△帽子をかぶった人力夫行きかう場面(ホンコン)がテレビに映れば、
「ミヤ ミヤ! 早く、早く来て! 日本が出てるわよー!!」
と大騒ぎして私を呼びに来るし。
疲れたなあ…。
ミニ ウェールズ案内
Builth Wells 村

右上の赤いドラゴンは、ウェールズの紋章。
国のために戦う闘志を意味しているらしい。
(ドラゴンというのが不思議だよね、中国のものだと思っていた)

今回は、ウェールズ中部、Wye 谷にある Builth Wells という小さな村を
訪れてみましょう。
Wye というのは川の名前で、見事な鮎と鮭がとれる。

この地方の中心を担う羊の市場

家畜のオークション

セント メアリーという名のお城もある
ちょっと歴史に触れてみよ。
<最後の プリンス オブ ウェールズ>
石の城壁と城の建設は、ウェールズの支配者であったイングランドの
エドワード一世が、一流ミリタリー建築家であったマスター ジェームズ
de サンジョージに1277年に、もうひとつの城建設と同時に命じたが、
それを含む彼の手による北部の複数の城は、1282年に最後の
ネイティブ(現地の) ウェールズ人プリンス Llywelyn が戦死するまで
着工されなかった。
プリンス Llywelyn は、1258年に皇位を継承。
彼はイングランドのキング エドワード一世と二つの大きな独立戦争で
闘い、後の戦い(1282-4)の只中の1282年12月11日に戦死。
その後、エドワード一世の息子である エドワード二世が プリンスオブ
ウェールズ を継承したが、ウェールズ人がイングランドと同化すること
はなかった。
Builth Wells から 2マイル半の Climery 村に、
”Ger y fan hon y lladdwyd Llywelyn ein llyw olaf 1282"
”Near this spot was killed our Prince Llywelyn 1282”
(プリンス Llywelyn は この近くで 1282年に殺された)
と刻まれた彼の碑がある。
ウェールズ語がどれほど英語と違うか、知ってほしいこともあって
載せたよ。
ところで、現在はチャールズ皇太子が(イングランド人の)プリンス
オブ ウェールズ だけど、
最近、何かの式典のためにウェールズを訪ねた時、初めて、英語で
なくウェールズ語でスピーチしたそうだ。

ぜひ投票をお願いしまーす(毎日クリックOK)
2008年
11月18日(火曜日)
2ー42 アンヌイル
ウェールズに来てから半月ほど過ぎた。
マムは頭のはっきりしている時は、元気な頃の人柄がうかがえるよう
だった。
聞き取れないような声でだけれど、とんちのきいた冗談を言い、顔を
くちゃくちゃにして笑う。
あまりしなびていて小さい顔なので、笑っているのか泣いているのか
わからないんだけど、笑っているんだ。
私のこと、“シバの女王” だって。 髪が黒いから。
イースター礼拝に行くワトソン氏を呼び、
「髪はとかしましたか?
靴は磨きましたか?
どれ、一回りしてごらん」
70才台の息子もマムにとってはまだ子どものまま。
何十年か前に、エジプト人のお医者さんに嫁いだもうひとりの娘さん
の元へ休暇にマムを連れて行った時も、
パイロットの免許を持っているワトソン氏が操縦室を見学に行こうと席
を立つと、大勢の乗客の前で、
「そこらをいじっちゃダメですよ。
何もいたずらするんじゃありませんよ!」
と、人差し指を上下に振って ”メッ” をしたそう。
その村では昔、炭鉱が盛んだったので、裏の山にその跡があり、
今も掘った時の土を盛り上げた山から煙がたなびいて、美しい山々の
斜面や野原に牛や羊が平和そうに草をはんでいるけれど、
その裏山で他の子どもたちと駆け回って遊んでいたワトソン氏にマム
は窓から白いハンカチを振ってお茶の時間の合図をしたとか。
マムはギリギリまで痩せ細って身動きできず、ほとんど眠っていたけ
れど、目を覚ますと私の手を握ってじっと見つめた。
若い時は日曜日には教会へ三度も行ったという彼女だけど、私が教
会に行こうとすると手を離さず、
「あなたが外出するととてもさみしい。私といっしょにいて」
と嘆願したり、
「暖かくなったらベッドごと車に乗ってピクニックに行きましょうね」
という私の言葉に、「どうしても明日行く」 とだだをこねて、周囲をてこ
ずらせたこともあった。
彼女は私を “アンヌイル”(ウェールズ語で “愛らしい” とか “大切な”
という意味だって)と呼んで、とても大切にしてくれた。
ヒステリー気味のアネッカに時々辛く当たられたけど、マムはワトソン
氏を呼んで、
「ワラティグ ハー(彼女を大切に扱いなさい)。
彼女は招待されて来たのであって、メイドではありませんよ。
仕事は強制ではなく、家族の一員としてできることを頼むだけですよ。
フェアでなくちゃいけません」
と言って下さったり。
相変わらずそばに来る人に、「あの子は私をマムと呼んでいるか」と
確かめる毎日だったけど、私の髪を撫でながら、
「この目の前にいる女の人をあなたは何と呼んでいるか」と聞かれた
時には気恥ずかしくて…
「マムです」
と答えると、頷いて眠りに落ちた。
『一日も長く生きてほしい。
この人のためなら何でもしてあげたい…』
見も知らなかった病床の老母との心の通い合いが、私にとってもかけ
がえのないものになっていたよ。
ミニミニ 観光案内

ウェールズの田園風景とブラックマウンテン(絵葉書)

一番近い大きな町、ブレコン(絵葉書)

ウェールズの海岸(Port Eynon〜Rhossili)(観光パンフより)


メイドのシンディーと、ワトソン家のキッチン裏で

お休みに行ったイングランド・コーンウォール半島の港町
New-Quay (ニュー キー)の港
ニューキーは、下の地図の、トーキーがあるコーンウォール半島の
先っぽ

トーキーの位置(ウィキペディアより)

お休みに連れて行ってもらったイングランド・デヴォン州の港町
Torquai (トーキー)の港
日本から送られて来た着物を着ている。ショールはウェールズ製だよ。
この町は、アガサ クリスティーの生まれ故郷で、イギリスのリビエラ
とか呼ばれている風光明媚な街だけど、観光パンフにはほとんど出
て来ない。
調べてインターネット上で訪れてみて!

その時投函した、トーキーの絵葉書
今日も投票、よろしくお願いしまーす。 (* ^ー゚)
マムは頭のはっきりしている時は、元気な頃の人柄がうかがえるよう
だった。
聞き取れないような声でだけれど、とんちのきいた冗談を言い、顔を
くちゃくちゃにして笑う。
あまりしなびていて小さい顔なので、笑っているのか泣いているのか
わからないんだけど、笑っているんだ。
私のこと、“シバの女王” だって。 髪が黒いから。
イースター礼拝に行くワトソン氏を呼び、
「髪はとかしましたか?
靴は磨きましたか?
どれ、一回りしてごらん」
70才台の息子もマムにとってはまだ子どものまま。
何十年か前に、エジプト人のお医者さんに嫁いだもうひとりの娘さん
の元へ休暇にマムを連れて行った時も、
パイロットの免許を持っているワトソン氏が操縦室を見学に行こうと席
を立つと、大勢の乗客の前で、
「そこらをいじっちゃダメですよ。
何もいたずらするんじゃありませんよ!」
と、人差し指を上下に振って ”メッ” をしたそう。
その村では昔、炭鉱が盛んだったので、裏の山にその跡があり、
今も掘った時の土を盛り上げた山から煙がたなびいて、美しい山々の
斜面や野原に牛や羊が平和そうに草をはんでいるけれど、
その裏山で他の子どもたちと駆け回って遊んでいたワトソン氏にマム
は窓から白いハンカチを振ってお茶の時間の合図をしたとか。
マムはギリギリまで痩せ細って身動きできず、ほとんど眠っていたけ
れど、目を覚ますと私の手を握ってじっと見つめた。
若い時は日曜日には教会へ三度も行ったという彼女だけど、私が教
会に行こうとすると手を離さず、
「あなたが外出するととてもさみしい。私といっしょにいて」
と嘆願したり、
「暖かくなったらベッドごと車に乗ってピクニックに行きましょうね」
という私の言葉に、「どうしても明日行く」 とだだをこねて、周囲をてこ
ずらせたこともあった。
彼女は私を “アンヌイル”(ウェールズ語で “愛らしい” とか “大切な”
という意味だって)と呼んで、とても大切にしてくれた。
ヒステリー気味のアネッカに時々辛く当たられたけど、マムはワトソン
氏を呼んで、
「ワラティグ ハー(彼女を大切に扱いなさい)。
彼女は招待されて来たのであって、メイドではありませんよ。
仕事は強制ではなく、家族の一員としてできることを頼むだけですよ。
フェアでなくちゃいけません」
と言って下さったり。
相変わらずそばに来る人に、「あの子は私をマムと呼んでいるか」と
確かめる毎日だったけど、私の髪を撫でながら、
「この目の前にいる女の人をあなたは何と呼んでいるか」と聞かれた
時には気恥ずかしくて…
「マムです」
と答えると、頷いて眠りに落ちた。
『一日も長く生きてほしい。
この人のためなら何でもしてあげたい…』
見も知らなかった病床の老母との心の通い合いが、私にとってもかけ
がえのないものになっていたよ。
ミニミニ 観光案内

ウェールズの田園風景とブラックマウンテン(絵葉書)

一番近い大きな町、ブレコン(絵葉書)

ウェールズの海岸(Port Eynon〜Rhossili)(観光パンフより)


メイドのシンディーと、ワトソン家のキッチン裏で

お休みに行ったイングランド・コーンウォール半島の港町
New-Quay (ニュー キー)の港
ニューキーは、下の地図の、トーキーがあるコーンウォール半島の
先っぽ

トーキーの位置(ウィキペディアより)

お休みに連れて行ってもらったイングランド・デヴォン州の港町
Torquai (トーキー)の港
日本から送られて来た着物を着ている。ショールはウェールズ製だよ。
この町は、アガサ クリスティーの生まれ故郷で、イギリスのリビエラ
とか呼ばれている風光明媚な街だけど、観光パンフにはほとんど出
て来ない。
調べてインターネット上で訪れてみて!

その時投函した、トーキーの絵葉書
今日も投票、よろしくお願いしまーす。 (* ^ー゚)
★テーマ:誰かに伝えたくなる、話。(*´ー`) - ☆ジャンル:小説・文学
2008年
11月25日(火曜日)
2−43 虎屋の羊羹
ウェールズにいる間はね、ちゃんとお休みとお小遣いをいただいてい
たので、訪ねて来たオックスフォードの友人たちなどと時々小旅行に
行くことができたんだよ。
近くのお出かけには、ワトソン家でも連れて行って下さったし。
(マムをメイドさんにお願いして、ね)
イギリスではあちこちに、昔のかつてのおもかげがすっかり消え失せた
お城や修道院が風雨に晒されるままになっている。
何世紀も前のものがたくさん…
かつての力や栄光、貴族の宴、豪華に着飾り踊ったであろう貴婦人た
ちの面影を追い、歴史の秘める哀愁に打たれたよ。
”国破れて山河あり” や、荒城の月の歌詞が聞こえて来るようだった。
夏の海岸線はオアシス。
海岸ギリギリまで緑で、塩の香りも波の音もしないので、絵を見ている
ような錯覚に陥る。
(前回のミニアルバムにも載せた)
地方では乗って来る人全員顔なじみで、ひとりひとりと世間話を交わし
ながら陽気にバスを走らせていた運転手さん、途中でバスを止め、
「ちょっと待っててね」
と言っていなくなったまま20分経っても戻って来なかったりするんよ。
平気な顔をしている他の乗客に聞くと、
「お茶でも飲みに行ってるんでしょう」
というのどかさ。
ここウェールズでも一日に何度もミルクティーを飲まないと何も進行し
ない。
マムの具合は相変わらず…
お天気のいい日は庭いっぱいに風を切る洗濯物のそばでロッキング
チェアの中に埋もれて、芝刈りをする私を眺めたり、
またある日は意識が薄れて誰が何を言ってもわからなかったり…
家からね、夏物と日本食品の間に混じり励ましの手紙とお小遣いが
届いたよ。
祖母はガンの手術後は再発のきざしもなく、祖父に世話をしてもらい
ながら、細々と感謝の日々を送っているって。
私が「ウェールズの小さな村で看病のお手伝いをしている」 と聞いて、
「えらいことだね、美弥ちゃんはどこへ行ってもそういうことを頼まれる
運命なんだね」
って笑ったそう。
さて、小包みに入っていたインスタントラーメンは好評だったんだけど、
虎屋の高級羊羹、これいかに。
「なぜこんな銀紙に包んであるの?」
「濡れてて気持ち悪い」
「味も匂いもないわね」
「いずれにせよ、毒じゃないでしょ」
(看護婦とアネッカの会話)
ワトソン氏もおそるおそる角をかじり、
「悪くはないよ。」
おみやげに持って行った近所の家々でも、5ミリかじっただけで、ゴミ
箱行き。
全く同じ感想を述べるんさ。
日本の代表的銘菓の傑作、日本の誇り、虎屋の羊羹…
私の心は痛んだ。
これは国際的一大事、すぐに虎屋の社長さんに報告書を送らねば…!
虎屋の名声についても羊羹についても何の基礎知識もないウェールズ
の庶民が、羊羹を得たいの知れない、水っぽくて気持ちの悪い、味も
香りもない、不衛生な工程で作られた野蛮な国のお菓子と思っても
無理はないかも。
日本は藁を敷いた床の上で暮らし、沢山の貧民がボートに住んでいると
信じて疑わない人たちだもの。
いかに吟味された原料から、近代的、衛生的設備の中で、白衣とマス
クの従業員たちの手によって謹製されているか、
また、ただ甘ければいいような洋菓子と違い、和菓子のデリケートさや、
いただき方、器などへの心配りなど、どうして説明できよう。
あぁ〜ん、くやしいよーぉ!
うまく説明できない自分に、そのつたない英語力に、がっくりこ。
それでウェールズの庶民の羊羹との遭遇に際しての正直な反応の一
部始終を綴り、
「虎屋さんともなれば英語のできる秘書さんもいらっしゃるでしょう?
英文の羊羹の説明書を送っていただけないでしょうか。
日本を正しく理解してもらうため、また羊羹の汚名を晴らすため、どうし
ても必要なのです」
というお願いといっしょに、虎屋の社長さん宛てに送っちゃった。
封筒の裏には、
「社長さん、国際的一大事です」
と、私が泣きわめいているイラストを入れて。
さあ、果たして、天下の虎屋さんから、
しがない、いち大和なでしこ(?)の 絶望の淵からの叫び への
お返事は来るのでしょうか??
ミニミニ観光案内
イギリスの地図

前と同じ地図をイギリス政府観光局HP&ウィッキペディアから
お借りしました。
イギリス本土がカンガルーで、赤いお腹の部分がウェールズだとする
と、ふくらんだ膝とふくらはぎのあたりがデボン州。
足全体がコーンウォール半島。
前回出て来たトーキーが右の地図の白いマークで、ニューキーは、
足の先っぽにある。

デボン州の絵葉書

デボン州の海岸 絵葉書


デボン州、ソルズベリー地方にある ストーンヘンジ。世界遺産。
お休みに訪ねて来てくれた友人たちのオートバイの後ろに乗っけて
もらって行ったので、ヘルメットを持っている。
こんな巨大な石を古代の人がどこからどうやって運んで来たのか、
どうやって積み上げたのかとか、形状、材質を始め、
配置も天文学的に計算されたりしていて、謎が多い。


デボン州、バース(Bath) の町。
イギリスでは珍しい温泉の町。 お風呂(bath) という単語はこの土地
の名前から。 街並みは世界遺産になっている。

バースのローマン風呂
バース(Bath)は、イングランド西部、サマセットにある都市である。
人口は9万人強。
三つの源泉から供給される温泉で著名であり、イングランド有数の
観光地である。
最近までは温泉施設跡を見ることしか出来なかったが、市内中心部に
鉱泉を利用した温泉総合スパ施設サーメ・バース・スパが作られて、
入浴する事も出来るようになった。(ウィキペディアより)
たぶん、水着を着てだと思うよ。

コルフ城跡 絵葉書
デボン州の向かって右並びにある、ドーセット州に。
978年にエドワード王によりコルフ村を見下ろす丘の上に建設されたが、
内乱で廃城になり、そのままに。


外壁の彫刻が美しい ソルズベリー大聖堂。
ソルズベリーも、街並みが世界遺産になっているんだよ。
お読み下さったらぜひ、投票をお願い致します
いっしょにそこにいるつもりで応援して下さい
プチ プチッと ふたつ押してね!
たので、訪ねて来たオックスフォードの友人たちなどと時々小旅行に
行くことができたんだよ。
近くのお出かけには、ワトソン家でも連れて行って下さったし。
(マムをメイドさんにお願いして、ね)
イギリスではあちこちに、昔のかつてのおもかげがすっかり消え失せた
お城や修道院が風雨に晒されるままになっている。
何世紀も前のものがたくさん…
かつての力や栄光、貴族の宴、豪華に着飾り踊ったであろう貴婦人た
ちの面影を追い、歴史の秘める哀愁に打たれたよ。
”国破れて山河あり” や、荒城の月の歌詞が聞こえて来るようだった。
夏の海岸線はオアシス。
海岸ギリギリまで緑で、塩の香りも波の音もしないので、絵を見ている
ような錯覚に陥る。
(前回のミニアルバムにも載せた)
地方では乗って来る人全員顔なじみで、ひとりひとりと世間話を交わし
ながら陽気にバスを走らせていた運転手さん、途中でバスを止め、
「ちょっと待っててね」
と言っていなくなったまま20分経っても戻って来なかったりするんよ。
平気な顔をしている他の乗客に聞くと、
「お茶でも飲みに行ってるんでしょう」
というのどかさ。
ここウェールズでも一日に何度もミルクティーを飲まないと何も進行し
ない。
マムの具合は相変わらず…
お天気のいい日は庭いっぱいに風を切る洗濯物のそばでロッキング
チェアの中に埋もれて、芝刈りをする私を眺めたり、
またある日は意識が薄れて誰が何を言ってもわからなかったり…
家からね、夏物と日本食品の間に混じり励ましの手紙とお小遣いが
届いたよ。
祖母はガンの手術後は再発のきざしもなく、祖父に世話をしてもらい
ながら、細々と感謝の日々を送っているって。
私が「ウェールズの小さな村で看病のお手伝いをしている」 と聞いて、
「えらいことだね、美弥ちゃんはどこへ行ってもそういうことを頼まれる
運命なんだね」
って笑ったそう。
さて、小包みに入っていたインスタントラーメンは好評だったんだけど、
虎屋の高級羊羹、これいかに。
「なぜこんな銀紙に包んであるの?」
「濡れてて気持ち悪い」
「味も匂いもないわね」
「いずれにせよ、毒じゃないでしょ」
(看護婦とアネッカの会話)
ワトソン氏もおそるおそる角をかじり、
「悪くはないよ。」
おみやげに持って行った近所の家々でも、5ミリかじっただけで、ゴミ
箱行き。
全く同じ感想を述べるんさ。
日本の代表的銘菓の傑作、日本の誇り、虎屋の羊羹…
私の心は痛んだ。
これは国際的一大事、すぐに虎屋の社長さんに報告書を送らねば…!
虎屋の名声についても羊羹についても何の基礎知識もないウェールズ
の庶民が、羊羹を得たいの知れない、水っぽくて気持ちの悪い、味も
香りもない、不衛生な工程で作られた野蛮な国のお菓子と思っても
無理はないかも。
日本は藁を敷いた床の上で暮らし、沢山の貧民がボートに住んでいると
信じて疑わない人たちだもの。
いかに吟味された原料から、近代的、衛生的設備の中で、白衣とマス
クの従業員たちの手によって謹製されているか、
また、ただ甘ければいいような洋菓子と違い、和菓子のデリケートさや、
いただき方、器などへの心配りなど、どうして説明できよう。
あぁ〜ん、くやしいよーぉ!
うまく説明できない自分に、そのつたない英語力に、がっくりこ。
それでウェールズの庶民の羊羹との遭遇に際しての正直な反応の一
部始終を綴り、
「虎屋さんともなれば英語のできる秘書さんもいらっしゃるでしょう?
英文の羊羹の説明書を送っていただけないでしょうか。
日本を正しく理解してもらうため、また羊羹の汚名を晴らすため、どうし
ても必要なのです」
というお願いといっしょに、虎屋の社長さん宛てに送っちゃった。
封筒の裏には、
「社長さん、国際的一大事です」
と、私が泣きわめいているイラストを入れて。
さあ、果たして、天下の虎屋さんから、
しがない、いち大和なでしこ(?)の 絶望の淵からの叫び への
お返事は来るのでしょうか??
ミニミニ観光案内
イギリスの地図

前と同じ地図をイギリス政府観光局HP&ウィッキペディアから
お借りしました。
イギリス本土がカンガルーで、赤いお腹の部分がウェールズだとする
と、ふくらんだ膝とふくらはぎのあたりがデボン州。
足全体がコーンウォール半島。
前回出て来たトーキーが右の地図の白いマークで、ニューキーは、
足の先っぽにある。

デボン州の絵葉書

デボン州の海岸 絵葉書


デボン州、ソルズベリー地方にある ストーンヘンジ。世界遺産。
お休みに訪ねて来てくれた友人たちのオートバイの後ろに乗っけて
もらって行ったので、ヘルメットを持っている。
こんな巨大な石を古代の人がどこからどうやって運んで来たのか、
どうやって積み上げたのかとか、形状、材質を始め、
配置も天文学的に計算されたりしていて、謎が多い。


デボン州、バース(Bath) の町。
イギリスでは珍しい温泉の町。 お風呂(bath) という単語はこの土地
の名前から。 街並みは世界遺産になっている。

バースのローマン風呂
バース(Bath)は、イングランド西部、サマセットにある都市である。
人口は9万人強。
三つの源泉から供給される温泉で著名であり、イングランド有数の
観光地である。
最近までは温泉施設跡を見ることしか出来なかったが、市内中心部に
鉱泉を利用した温泉総合スパ施設サーメ・バース・スパが作られて、
入浴する事も出来るようになった。(ウィキペディアより)
たぶん、水着を着てだと思うよ。

コルフ城跡 絵葉書
デボン州の向かって右並びにある、ドーセット州に。
978年にエドワード王によりコルフ村を見下ろす丘の上に建設されたが、
内乱で廃城になり、そのままに。


外壁の彫刻が美しい ソルズベリー大聖堂。
ソルズベリーも、街並みが世界遺産になっているんだよ。
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